研究者道
昨夜は月一回の自主勉強会であった。
私は前回恩師から指摘された
研究の中期目標を持参した。
それについて色々な視点で
意見を頂いた。
その中で今後のことについて確認したが、
研究者としての自覚、覚悟が甘いことを
ズバリと指摘された。
できているつもりにすぐなる
私にとっては鋭いご指摘だった。
自分の進むべき道は決まり始めてきたが
その覚悟があやふやであったことを認識した。
実務家教員という過去にすがらず
研究者の道をしっかりと踏み出そう。
原石
本日の授業は驚いた。
あるグループの模擬授業であったが
新任の研修授業であっても
何ら遜色ない授業であった。
「声でそろえる」のめあてのもとに
準備運動から主運動までが
すべて声で動きをそろえることで
成り立つ授業デザインとなっていた。
もちろん改善点もたくさんあるが
それ以上にそのような授業を構成できる
学生に未来を感じた。
教師の原石がごろごろと
本学にはそろっている。
しっかり磨いていこう!
入試業務
本日は入試業務で日曜出勤。
昨年に比べ
今年は本日の分と
センター入試で終了なので
随分と楽になった。
来年出会えるだろう生徒たちは
緊張しながらも頑張っていた。
業務の間に入試関連の話をしていたが
着実に世の中が変わってきている。
ということは大学の存在価値も変わるだろう。
そう思うと自分の日々が
将来の自分のための入試なんだと
改めて思う。
時代は回る
昨夜は堺市の体育の研究会に参加した。
本日は吹田市の体育研究の打ち合わせだった。
共通点を感じ
それがタイトルの
時代は回るである。
小学校体育科ではいわゆるスポーツ競技を素材ととらえ
その素材を教材化することで運動の楽しさを味わわせる。
ところが最近教材化が「教材を教材化」するようなことになり始めており
「素材そのものの楽しさを味わせたらいい」のでは
という話が昨夜の堺市での話し合いで出た。
これを一理ある話であるが
かつてもあった話である。
吹田市の話では
サッカーの教材化において
コートの中にフリーゾーンを入れるというものであった。
これもかつてそのような実践があった。
どちらもかつてされてきたことと偶然一致したのである。
小学校の授業研究の歴史は長い。
子どもの事実から様々な実践が生まれてきた。
当然行き着くところは重なる。
教育の特徴に「不確実性」がある。
これが絶対的に正しいというものはない。
だからこそ試行錯誤しながら実践を積み上げてきた。
今、世代交代の中でうまく実践が引き継がれていないこともある。
しかし,学び続ける教師がいる限り
実践は生まれ続ける
いや再生するのだろう。