体育研究と教師の成長

新米研究者の研究・教育に関するデジタルポートフォリオ

卒業式

昨年はハリーポッターのような

恰好をしたことが一番印象に残った卒業式。

しかし,今年は初めてのゼミ生を送り出す

特別な日となった。

と言っても学年でやんちゃなことで有名だった学生。

午前中は介護等体験の礼状を書かせ

科目等履修の申請書の訂正をさせた。

最後の最後まで指導を行った。

無事に卒業式を終え謝恩会に。

ゼミはなかなか全員がそろわなかったが

さすがこういう時は全員参加。

司会をして盛り上げたり

みんなに突っ込まれたりと

会場を盛り上げていた。

そして最後の花束贈呈。

私も今までいろいろな卒業生を送り出したが

男子でこれほど号泣したのは初めてだった。

本当に手はかかったが

素直でいい子たちだった。

卒業おめでとう。

 

 

会議の一日

四月からの新大学に向け

昨年とは違い会議が一気に増えた。

新たなことを始めようとしているので

会議が増えることはしょうがない。

ただ,10分でできることを

20分でやられたり

何のための誰のための会議なのか

わからないようなことが続くと

正直心がおれる。

昨日は4つの会議があり

終了したのが8時だった。

さすがに心身ともに疲れた。

大学が変わることを

切に願う。

学び続ける教師

土曜日は堺市の体育の研究会に

助言者として参加した。

ただ、助言者としてよりも

体育に関わるものとして

その内容の濃さに

一参加者として感銘を受けた。

1年間、それぞれの研究グループで

実践研究を行い

そこから提案ある指導法を発表する。

文字にすると3行で終わるが

日常の業務を進めながら

そのような研究を行い

実際に形にしていくことは容易なことではない。

学び続ける教師集団に出会うと

教師としてのエネルギーをもらえる。

言葉

明日は久しぶりに自主ゼミを行う。

1月に恩師が倒れてから

うやむやになっていたが

やはり恩師。

メールにて2月の自主ゼミについて

言及してあった。

本来なら担当の私がしなければならないことだ。

まだまだ、そういった面で

研究に対して甘い自分がいる。

自主ゼミに向けて資料を作っているが

いざ文にすると止まる。

研究職について

今まで言葉をいい加減に使っていたことを

実感している。

無知の時の方が何でもかける。

言葉を知らないと知ってから

言葉が使えなくなった。

ならば言葉を得る

つまり文献を読まなければならない。

と、前日にこのよなことを言っているようでは

恩師に怒られそうだ。

出会い

昨日は箕面市のある小学校で

示範授業および研修会を行った。

このこと自体は先々週も行ったことだが

今回は4月からのゼミ生4人を連れて行った。

私にとっても初めての経験だったが

研修会で教員と交じり

楽しそうに運動している姿を見てホッとした。

また,研修後校長室に呼ばれ

校長先生,体育主任,指導主事から

ためになる話もたくさんしていただいた。

学生を育てる立場だが

私ができることは限られている。

たくさんの素敵な教師に出会わせ

多くのことを感じてもらいたい。

理屈も大事だが

それ以上に感動を与えたい。

卒論発表

卒論発表会が開催された。

昨年は他のゼミ生の発表を聞くのみだったが

本年度は我がゼミ生も発表した。

5分の発表時間は短く

一人の学生は途中で焦る姿が見られたが

その姿は後輩のゼミ生のよき教訓になるであろう。

また、私自身も聞いていて

学ぶところがあったので

来年の指導に活かそうと思う。

いろいろとあったゼミ生であったが

残す行事は卒業式のみとなった。

と、その前に成績が気になるところだが…

これが一番難関のような…

書く力

学生の指導案をチェックしている。

該当の学生たちは

昨年度共に大学に来たことや

昨年から授業を担当した縁もあって

よく知っている学生である。

その学生たちの文章を読むと

学生のキャラ通りだったり

全く想像できない内容だったりで

非常に面白い。

ただ自信を持って言えることは

書く力がある学生は

学力も高いということだ。